行動経済学を学ぼう ファスト&スロー?

こんにちは、ヘッタチャンです。

かなり前に紹介した「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか」

前回記事「行動経済学を学ぼう ファスト&スロー

備忘録としてもう少し書き残しておきたい部分があったのであらためて、抜粋とその理由について書いてみます
以下抜粋と思ったこと



アドバイスは、「誰かの文章や参考資料を引用するなら、発音しやすい人が書いたものを選びなさい」というものである。
ある実験では、トルコの架空の企業について、二つの証券会社が提出した報告書に基づいて将来性を判断するよう参加者に指示した。
証券会社の名前は、一つは発音しやすいアルタン、もう一つは厄介なターフートである。二冊の報告書は、いくつかの項目で不一致を来していた。
このようなときは両者の中間をとるのが妥当と考えられるが、被験者はおおむねターフートよりアルタンを信用したという。
投資を検討している企業が複数ある場合、発音しやすいか?くだらないことと思うかもしれませんが、これも注目されるかどうかを考えるならば、考えておいた方が良いようです。
悲しいことを考えた被験者は、直感的な作業をまったく正確にこなせなくなってしまったことである。彼らの答はどれも、でたらめとほとんど変わらなかった。このように、気分は明らかにシステム1の働きを左右する。不機嫌なときや不幸なとき、私たちは直感のきらめきを失ってしまう
自分の判断でトレードを行う場合、気分がかなり重要ということが、データからもわかってきました。
(昔から投資メンタルの重要性は言われてきましたが)
効率よく仕事をするために、自分の感情を乱すものは遠くに置いておきたいものですね。
人物描写をするときに、その人の特徴を示す言葉の並び順は適当に決められることが多いが、実際には順番は重要である。ハロー効果によって最初の印象の重みが増し、あとのほうの情報はほとんど無視されることさえあるからだ
この文章を投資に替えると「投資判断をするときに、その企業の特徴を示す言葉の並び順は適当に決められることが多いが、実際には順番は重要である。ハロー効果によって最初の印象の重みが増し、あとのほうの情報はほとんど無視されることさえあるからだ」といったところでしょうか?
開示情報の最初にいいことが書いてあると悪い情報を無視しがちになりそうです。
フレーミング効果──同じ情報も、提示の仕方がちがうだけで、ちがう感情をかき立てることが多い。
同じことを言っているにもかかわらず、「手術一カ月後の生存率は九〇%です」のほうが「手術一カ月後の死亡率は一〇%です」より心強く感じる。
同様に、冷凍肉に「九〇%無脂肪」と表示してあったら、「脂肪含有率一〇%」よりダイエットによさそうに感じる。
両者が同じ意味であることはすぐにわかるはずだが、たいていの人は表示されている通りにしか見ない。「見たものがすべて」なのである
どう表現されているかは実はかなり重要で、私の場合ですと、損失がいくらかというのがかなりネックになっています。
本来であれば、投資額の何%マイナスかが損切りの決定要件であるべきなのですが、どうしても絶対値でみてしまいます。
私の場合は一銘柄数万やられで拒否反応が出ます。結果ここ数年利益が伸びないのを痛感しています。
やるべきは、一銘柄当たりのポジション増と損切りの定率化のようです。
少数の法則の背景には、標本サイズが小さくても抽出元の母集団とよく似ているのだからかまわない、という強力なバイアスも存在する。このバイアスは、私たちが、自分が見たものの一貫性や整合性を誇張して考えやすいことに由来する。
少ない観察例から導き出した「事実」に対する研究者の過剰な信頼は、ハロー効果とも深い関係がある。ハロー効果が働くと、実際にはほとんど知らない人のことをよく知っていると考えやすいからだ
ここ最近ですと、仮想通貨で億り人が、追証の追くり人になったことがこれに該当するかと思います。
ここ1〜2年の押し目で買えば、まず負けないような相場での少ない経験を過剰に信頼する危険性が顕在した形かと。自分が標本サイズの少ない法則を、信じていないか気を付けたいものです。
個人的に直接経験したこと、写真、生々しい実例などは、他人に起きた出来事、報道、統計などよりも記憶に残りやすく、利用可能性が高まる。たとえばあなた自身の訴訟で不当な判決があったら、そうした事件を新聞で読んだ場合よりも、司法制度に対する信頼は大きく揺らぐだろう。
このように、利用可能性ヒューリスティックが形成しうるバイアスはきわめて多い。この種のバイアスを防ぐことは不可能ではないが、かなり骨が折れる。
印象や直感を鵜呑みにしないようにするためには、次のような質問を自分に発してみなければならない。
「最近このあたりで起きた二、三の事件だけを理由に、一〇代の若者の窃盗が大きな社会問題だと言い切ってしまっていいのだろうか」、
あるいは
「自分の知り合いで去年インフルエンザにかかった人がいないからといって、予防接種を受ける必要がないと考えてよいのだろうか」など。
バイアスを防ぐために自分を監視し続けるのは、たしかに面倒だ。だが高い代償を伴うエラーを防げることを考えれば、この努力はする価値がある
イベント投資の方と出た話で、統計上有利なイベント投資で、2〜3回逆に行き損すると、その後また勝てるようになるという話があります。
これは統計への回帰もあると思うのですが、その数回で参加者が減ることも影響を与えている気がします。
自分がバイアスに影響されていないか常に自問したいものです。
代表性を話題にするときは
「芝生はきちんと刈り込まれているし、受付嬢は有能そうで、家具はすばらしい。だがだからと言って、この会社の経営状態がいいことにはならない。取締役会が代表性に眩惑されないことを祈るよ」
「このスタートアップは順風満帆に見える。だがこの業界で成功する企業の基準率はきわめて低い。この会社が例外だとどうしてわかるんだ?」
「彼らは相変わらず同じまちがいを繰り返している。あやしげな情報に基づいて、ありそうもないことを予測しているんだ。情報が信用できないときは、基準率に依拠すべきだ」
「この報告書がきわめて批判的であることは承知している。おそらくは確たる証拠に基づいているのだろうが、ほんとうに信頼できるのか? 不確実性の存在は念頭に置くべきだろう」
株主として、経営者に会って投資判断をするという話をよく聞きますが。上記のような考え方もあります。
面談を一概に否定するわけではありませんが、頭に入れておきたい内容です。
説得力の高い原因を暗示するような統計結果であっても、長年の信念や個人的経験に根ざした信念を変えるには至らない。
その一方で、驚くべき個別の事例は強烈なインパクトを与え、心理学を教えるうえで効果的な手段となりうる。
なぜなら信念との不一致は必ず解決され、一つのストーリーとして根づくからだ。読者に個人的に呼びかける質問が本書に多く含まれているのは、このためである。
人間一般に関する驚くべき事実を知るよりも、自分自身の行動の中に驚きを発見することによって、あなたは多くを学ぶことができるだろう
教育において「長年の信念や個人的経験に根ざした信念を変える」ことはかなり難題です。
ストーリーとして統計結果を理解する方法があればなぁと思う今日この頃です。

ファスト&スローの紹介はもう少し続きますが、今日はこの辺で