新しい学習法や仕事のやり方に飛びつくのは正しいのか?


マネー・ヘッタ・チャンのモノガタリ


昔々あるところに、漁師がおりました


彼はとても魚を捕るのが上手く、家族を養っても余りあるほどの収入をその仕事から得ていました


村人はそんな彼から漁の技を習いたくて色々聞きに来たりしていました


ところが他の村のやり方がもっと簡単で漁獲も多いのでぱったりと村人が来なくなってしまいました
それどころか村の人は彼のやり方を古いと馬鹿にするようにものなりました


しかししばらくするとそのやり方は最初だけ上手く取れるけれど魚が警戒してしまい、その後はほとんど取れなくなってしまうやり方だとわかってきました


あれほど馬鹿にした漁師に今更教えてもらうことも出来ず村人は困ってしまいましたが、最後まで漁師の教え方を守っていた漁師は相変わらず豊漁でしたとさ


ご無沙汰していますマネー・ヘッタ・チャンです


先月は厄月で、今月は厄落としたから大丈夫かと思っていたらとんでもなく、今月もいい感じにやられております


軽く鬱モードでブログを書く気力もありませんでした。
土日休んで少し回復したのでまたちんたらとブログを書いていこうと思います


さて、本日のモノガタリは過去にも紹介した続ける力―仕事・勉強で成功する王道から、「改革・変革」=「善」という風潮に対しての著者の文章から作ってみました


ヘッタ・チャンが思うに、ここ最近の風潮として効率化や自己成長だけがビジネスパーソンの視点となってしまっている気がします。


そしてその背後にあるのが、ぶっちゃけエゴだと感じます


この国を、自分の所属する組織を、自分の周りを一緒によくしたいという視点で、もう少し長い視点での自他ともに成長するためになにが出来るかを考えてみたいと思ったのが以下の文章でした



紹介したい言葉
164  私が「改革」や「変革」ばかりがもてはやされる風潮を危ういと思うのは、「改革こそが正しい」「新しいものにこそ価値かおる」という考え方は、自分たちが積み重ねてきた「過去」の否定につながりかねないからです。


そこからは、先人たちが培ってきた知恵を学び、「人類の叡智」を将来に継承していくという姿勢は生まれてきにくい。これはじつにもったいないし、危険なことでもあります。


人間が自分たちの知恵だけでやれることなど、たかが知れています。過去の蓄積に目を向けることなく、目先の損得勘定だけで「変革」を続けていけば、私たちの社会は、ただ迷走と混乱を繰り返すだけではないでしょうか。


平穏な日常は、ある日突然に脅かされる
もちろん、先人たちも、いろいろなことを改革しながら社会を築いてきました。


しかし、「どう変えてきたか」の歴史だけを学んでいたのでは、足をすくわれます。生きることの本質が「継続」にある以上、私たちの社会は「何を変えてこなかったか」に目を向ける必要があります。
抜粋ここまで
(注:紹介のため、改行や行間を一部訂正しています)