「自己決定・自己責任」「個性的」で破滅している今時の若者 → 街場の教育論

こんにちは、マネー・ヘッタ・チャンです


前回は、社会に出たら当たり前だと思われている「競争」が足の引っ張り合いに終始する可能性があるということをお伝えしました


今回は今時の若手が大好きな「自己決定・自己責任」「個性的であること」について書いてみたいと思います。


あなたが「自己決定・自己責任」「個性的であること」という言葉にポジティブなイメージを抱いたらとしたら、それは洗脳された結果なのかもしれません。


本当の労働の場とはどうあるべきか、今時の若者が低賃金で搾取される理由の一端がある意味において自業自得であるという考え方を街場の教育論から紹介します


紹介したい言葉
212頁 「労働」の場とは言い換えると「協働」の場のことです。
そこに求められるのは受験校の教室で求められているような


「一人だけを際だたせ、周りの人間を凡庸で愚鈍な人間に見せる」


知識や技術ではありません。逆です。その人がそこにいると、その感化力で、周りにいる人たちが少しだけ元気になって、少しだけ輝きを増すような、そういう「集団のパフォーマンスを高める知識と技術」が何よりも求められている。


222頁 ロストジェネレーションは何を失ったのか?
個人の原子化・砂粒化の急速な進行、「自己決定・自己責任」の呪文に煽られて、「モジュール化」された業務に「自分らしさ」の発現を求めている人々。


当節の格差社会論の論理的な瑕疵については、これまで何度も書いてきたので、もうここでは詳細にはわたりませんけれど、「自己決定・自己責任」すること、「個性的であること」への病的なこだわり、「協働」という生き方に対するつよい忌避とそれがもたらす「共同的に生きる能力」の不足が若者たちを非正規雇用や劣悪な労働条件に追い込んでいるということは、重ねて確認しておく必要があると思います。
抜粋ここまで
(注:紹介のため、改行や行間を一部訂正しています)


マネー・ヘッタ・チャンのモノガタリ


あるところに「個性的」であることを何よりも大事にする今時の若者がいました。


彼は誰かと同じであることが大嫌いで、服装も考え方も普通と違うのが格好いいと思っていました
だから、彼の格好はいつもとても奇抜で、考え方も普通の人々が大事だと思うものを馬鹿にすることが格好いいと思っていました。


そして、しまいには歩き方すら普通に歩くのが格好悪いとくねくね歩くようになりました


そんな有様ですから、彼の周りには普通の人は誰も近寄りません。
彼の周りにいるのは、彼と同じような奇抜な格好と考えを持った人たちです


しばらくすると彼らの数はどんどんと増えてきました。そこであるとき、彼らを有効に使おうと思う悪い人たちが出てきました。


悪い人は、彼らを個性的で自分を持っていてすばらしいと誉めそやしながら、派遣やフリーターという仕事こそが彼らに向いているとはやし立てました、給料もそんなに悪くありません


普段大人にほめられることがなかった若者は、自分を認められたみたいで嬉しくなり派遣やフリーターになりました


しばらくすると、実は派遣やフリーターの仕事は最初だけちょっとだけ良くて、将来性がほとんどない仕事だということがわかってきました。


個性的な若者は怒りを感じましたが、本来、団結して文句を言うべきところを個別で文句を言いに行ったせいで各個撃破されてしまいました


彼らは一見仲が良い様に見えますが、お互いが違うという以外の同じ価値観をもっているわけではないので砂粒のようなつながりでしかなかったのです


そのせいで個性的な若者はその立場から抜けることが出来ませんでしたとさ


めでたくなしめでたくなし


教訓 群れを成せば強くなる、協働というのはそういうこと
   一人ボイコットは解雇だが、職場全員ボイコットは話し合いになる