学びの賞味期限 「君のやってきたことはもういらないんだ」、そういわれる恐怖 → 街場の教育論


こんにちは、マネー・ヘッタ・チャンです


どんな仕事でも、学問でも必要とされる理由があり、それがなくなったらなら、静かに消えていくのが筋ですが、それらに一生を費やした後で、


「君のやってきたことはもういらないんだ」、そういわれる恐怖が人を不合理に導くのだなと街場の教育論を呼んでいて思いました。


とはいえ、今までやってきたことが意味をなくすことは、有史以来無数に繰り返されてきたわけで、それでも前に進んでいくために、何をすればいいのだろうと思う今日この頃です


もっとも大学教授ですら、忌避したがる内容なのでゆっくり考えようかと思うけど


紹介したい言葉
99頁 どの学問分野でも、「この分野の研究はいつから、どういう歴史的経緯があっで始まったのか?」という、存在理由そのものにかかわる問いは無意識的に忌避される傾向かあります。


どうしてかというと、この学問分野がさまざまな学術史的理由があってあるとき「誕生」した以上、別の学術的理由からあるとき「消滅」することもあるということを、その問いが思い出させてしまうからです。


自分たちのやっている専門的な研究はこれまでずっと存在してきたし、それゆえ未来永劫存在し続けるであろうという信憑から学者たちは逃れることができません。
彼らが巨視的な問いを忌避するのはそのせいです。
抜粋ここまで
(注:紹介のため、改行や行間を一部訂正しています)


マネー・ヘッタ・チャンのモノガタリ


むかし、ロンドンに傘を巻くのがとても上手い男がいました


当時の傘は、布で出来ていたのでしわが出来やすく、きれいにたたむにはちょっとしたコツとセンスが必要だったのです


男はロンドンで傘をきれいにたたむことでひっぱりだこ、とても裕福な生活をしていました


ところがある日、ナイロンの傘が発明されました。
しわになりにくく、雨もしっかり弾いてくれるこの傘は、あっという間に町中に広まりました


その結果、男に傘をたたんでほしいという人はほとんどいなくなってしまいました
傘をたたむ以外したことがない男は、未だに街角に立って傘をたたむ仕事をしているということですが、昔のような羽振りのよさはなくなってしまいましたとさ。


教訓 どんなものにも賞味期限がある。 なるべく長いものを見つけるか、どんどん乗り換えるか二つに一つ