知らないことは起こっていないことと同じ → イソップ寓話の経済倫理学

こんにちは、マネー・ヘッタ・チャンです。


インターネット社会になって、情報は瞬時に共有されるというと思われている昨今ですが、実際はまだまだそんなことはありません


ヘッタ・チャンは2chが好きでよく見ているのですが、ネットで論議されている内容がテレビや新聞では、あたかもそんな事件は起こっていないかのようにまったく取り上げられないことはしょっちゅうです


有名ラジオDJの突然降板が、そういうのが大好きなワイドショーでまったく放映されないとか
某有名評論家の自宅で失火 → 三日後に敷地で遺体で発見 → 警察が自殺と判断??とか
汚染米で作ったアルコール類の出荷先と、長年謎とされていた癌の分布地図が一致してるとか
国籍法改正前後に、わざと大々的に厚労省の殺人を取り扱って、国籍改正法を取り上げないとか


結局我々が知ることができるのは、口々に話されている軽い内容ばかりです
それを揶揄していて面白いと思ったのが本日紹介するお話です



町に虎がいる

「町に虎がいる」と誰かが言った。
もう一人も「町に虎がいる」と言った。
さらに一人が「町に虎がいる」と言った。

「三人の者がそう言っていますが、王様はこれを信じますか?」と訊かれて、
王様は「信じる」と笞えた。(韓非子


◇虎が市中にいるかどうかは、調べてみればわかる事実の問題である。
この簡単な事実の問題でさえも、何人かのウソの証言があれば、人はそれを本当だと信じるようになる。
三人が「見た」と言えば、「みんなが見たと言っている」かのように思うのである


◇ある問題についての「よい」、「悪い」、「正しい」といった価値判断の問題になると、人はもっと簡単に他人の意見に左右される。
というよりも、ほかのみんなと違う意見や価値判断をもつのはいやなので、自分から他人の意見に合わせるのである。


◇ここでいう「市」(いち)、あるいはギリシアのポリスの「アゴラ」(それは広場であり市場でもある)は、今日でいえばマスコミでもある。
そのマスコミ、たとえばテレビで何人かの人が「これは悪い、けしからん」と言えば、ほとんどの人が簡単に「そうだ、これは悪い、けしからん」と思う。
そして意見を訊かれれば、テレビで聞いたのと同じ意見を目にする。テレビが「町中に虎がいた」と言えば「虎がいる」は日本中の共通情報となるのである。


◇逆に、テレビ、新聞が報道しないことは、現実に起こって一部の人が知っていることでも「それは起こらなかったし、そんな事実はない」ということになる。
旧ソ連では、大勢の死者が出るような航空機事故は存在しなかった。マスコミも出販もすべて国営で、国にとって都合の悪いことは一切報道しなかったのだから、それは「存在しなかった」のである。


◇政府の悪口をはじめ、何を言っても差し支えない日本でも、マスコミが報道しない事実はたくさんあるにちがいない。
しかし「知らされず、知りようのないことは存在しない」のである。また、言っては具合の悪い意見もマスコミには出てこない。だからそういう意見も「存在しない」ことになる。そのような「ふれられないもの」をタブーという
抜粋ここまで
(注:紹介のため、改行や行間を一部訂正しています)


マネー・ヘッタ・チャンのモノガタリ

これは2008年の6月頃のお話
サブプライム問題で世界がどうなるかについての多くの識者はこういった

「デカップリングで世界はかわらず成長する」とテレビで誰かが言った。
もう一人も「日本の経済には蚊に刺されたようなもの」と言った。
さらに一人が「銀行はサブプライムに投資していないから、まったく影響ない」と言った。

「三人の者がそう言っていますが、首相はこれを信じますか?」と訊かれて、
首相は「信じる」と笞えた。

だが、むしろ日本は世界で一番、サブプライムの影響を受けた国になってしまった


教訓 えらい人ほどむしろ先が見えてない。肝心なときに真逆に間違える