イソップが教える現代の茶番 ⇒ イソップ寓話の経済倫理学

こんにちは、マネー・ヘッタ・チャンです。

新聞やテレビ、雑誌には、とかく批判記事やこうしなきゃ駄目だ、ああすればよくなるなど、世界をよくする解決策やら、対処法がそこかしこに紹介されています

そのわりに、世界はいっこうに良くなる気配がありません。
むしろ、そういったことを声高に叫ぶ業界ほど、隠蔽体質で、先送り、無責任、自己中だったり増す

解決策はたくさんあるのに、それを誰もやらないのは何故なのか?
その答えは、「そんなことをやっても、自分に得がないから」という身も蓋もない話を、最近読んだ本から紹介です

最後に、最近の事例で皮肉ってますのでぜひ最後まで目を通してください

百姓と木

ある百姓の土地に一本の木があった。その木には実はならず、ただスズメややかましセミどもの避難場所になっているだけだった。


そこで百姓はこの木を切り倒そうとして斧で一撃すると、スズメやセミは、
「切り倒さないでそのままにしておいて下さい。そうしたらここで楽しい歌を歌ってあげますから」
と頼んだ。しかし百姓は耳をかさず、斧を打ちおろした。


そして木に穴を開けた時、ミツバチの巣と蜜を見つけた。


百姓は蜜をなめると、斧を投げ出し、この木を神聖なものであるかのように言って大事にすることにした。  (イソップ)

教訓
◇人は、当たり前のことながら善行よりも利益を愛する。

◇他人を助けることは善行であるが、実際にその善行をするには、それが自分にとっても利益でなければならない。
他人に対する善行が自分にとって損になり、大きな犠牲をともなうような場合は、善行をなすことにはならない。ただ利他主義を実行せよといわれても、それに従うわけにはいかないのである。

◇逆に自分の利益になることがたまたま他人にも利益になるような場合には、人は喜んで他人のために善行を施す気にもなる。
ただし、これは本当は自分の利益のためにやっているにすぎない。何かを神聖だといって崇拝するのも、それが自分の得になるからである。

◇自分の利益になることをしようとするのが人間の生き方の基本原則であるから、これを利己主義だといって非難しても始まらない。
人間が他人のために何かをするのも、それが利己主義の原則に反しない限りにおいてであり、極端な自己犠牲 をともなう利他主義や献身や社会貢献といったものはありえないし、それを人に要求するのも間違っている。
抜粋ここまで


マネー・ヘッタ・チャンのモノガタリ

国民とテレビ

ある国にアナログテレビがあった。アナログテレビは、もうすぐ映らなくなるもので、ただ老人やフリーター、ニートの避難場所になっているだけだった。


そこで政府はアナログテレビをやめて、色々な情報が送れて、利権や天下り先も確保できそうな地デジテレビを作って、アナログテレビの本拠地東京タワーを切り倒そうと一撃しようとした

老人やフリーター、ニートは、
「切り倒さないでそのままにしておいて下さい。そうしたらここで、今まで通りを番組を見てあげますから」
と頼んだ。しかし政府は耳をかさず、斧を打ちおろした。

ところがその跡地で、老人・フリーター・ニートはエコポイントを見つけた。

あんなにアナログテレビを愛していた老人・フリーター・ニートも、実質40%引きでプラズマテレビが買えるとなると、舌の根も乾かぬうちに地デジテレビに乗り換えてしまいましたとさ。  (イソップ)

教訓 状況が変わったら、変わり身が早いのが日本人