転職版最終話 アリがぎりぎりっす


ご無沙汰しておりますマネー・ヘッタ・チャンです


最近の更新は月一連載の「本当に残酷な転職マネー版グリム童話」の新しいモノガタリだけにほぼなっちゃってますね、申し訳ないです。


公私ともにまあ色々とありまして、クリエイティブな部分が稼働してません。
追々復活すると思うので平にご容赦を


さて今回のタイトルは


「アリがギリギリッス」というモノガタリ


姿形だけではなく、我々は得意・不得意は遺伝するものというお話を書いてみました


このモノガタリは、橘玲氏の最新刊「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」の一節を基に書きました
氏の本は相変わらず、ハンマーで殴られたような衝撃を与えてくれるようなインパクトがありますが、今回の一冊はその中で1番だと思いました


自分もそのような物書きになりたいものです


以下モノガタリの参照部分

28頁 こころは遺伝するのか?
 遺伝が人生に及ぼす影響は誰でも知っている。ぼくがイチローのような野球選手になろうとしても不可能なのは、努力が足りないのではなくて、そもそも運動選手としての遺伝的適性がないからだ。これは当たり前のことだし、なんの問題もない。


 知能が遺伝することはみんななんとなくわかっているけれど、こちらはちょっと微妙だ。経済格差の議論では、「貧しい家の子どもは高い学歴を得る機会が与えられないから、非正規社員になるしかない」と生育環境が問題にされる。論理的には、「知能の低い親からは知能の低い子どもが生まれる確率が高い」という理由から経済格差を説明することもできるはずだが、こんな暴論を主張するひとは目本にはいない(アメリカでは、黒人と白人の知能指数のちがいが統計的に計測されている)。


 性格が遺伝するという話になると、さらに事態はややこしくなる。教師が生徒に注意したときに、「態度が悪いのは遺伝だからオレのせいじゃねえよ」といわれたら教育自体が成立しない。ぼくたちの社会では、個人の自覚や生育環境によって性格はゼロからつくりあげられることになっているのだ。


 ところでなぜ、身体的な特徴や運動能力の遺伝が当然のこととされていて、知能や性格の遣伝ははげしい抵抗にあうのだろうか。遺伝情報が「運動」「知能」「性格」とジャンル分けされているわけではないのだから、あれもこれもまとめて親から子へと伝わるというほうがずっとありそうだ。


 しつけこれは、「遺伝」が科学ではなく政治問題だからだ。
 ぼくたちの社会では、スポーツが得意ならうらやましがられるけれど、運動能力が劣っているからといって不利益を被ることはない。音楽や芸術などの才能も同じで、ピアノが弾けたり絵がうまかったりすることは生きていくうえで必須の条件ではない。


 それに対して知能の差は、就職の機会や収入を通じてすべてのひとに大きな影響を与える。誰もが身に沁みて知っているように、知識社会では、学歴や資格で知能を証明しなければ高い評価は得られないのだ。


 もしそうなら、知能が遺伝で決まるというのは不平等を容認するのと同じことになる。政治家が国会で、行動遺伝学の統計を示しながら、「バカな親からはバカな子どもが生まれる可能性が高く、彼らの多くはニードやフリーターになる」と発言したら大騒動になるだろう。すなわち、知能は「政治的に」遺伝してはならないのだ。

 遺伝には、知能よりももっと深刻な問題を社会にもたらすものもある。
 「精神障害者の子どもは精神障害になりやすい」というのは疫学的には否定しがたい事実だけれど、これを公の場でいうことは精神障害者差別として厳しく禁じられている。医学雑誌などの専門誌や遺伝学の研究所には当たり前のこととして書いてあるのにだ
抜粋了






そんなわけなんで、下記を読んだ後に、もう一回「アリがギリギリッス」を読んでくださったら幸せです。どうぞよろしくお願いします。



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